2012年05月18日
そして、今日も
素晴らしい快晴に恵まれた本日、咲き誇るイジュの花を描きたい、ヤマユリも描きたい、と思いつつも、屏風作りを続けることに。描く土台が完成しないことには始まらない。思った以上に素早い自然の変化を横目に見ながらも、焦る気持ちを抑えながら、和紙を張り、そして乾かし、さらにまた張る。
2012年05月15日
「俵屋宗達 金銀の<かざり>の系譜」 2
本書の中で、ため息が出るほど美しい文章に出会った。
花々や草木を頭や冠に挿す<かざす>という言葉が語源であるとも言われるように、<かざり>は、もともと自然の美や生命を人間の領域に取り込む行為と関わりの深い語であった。それはまた、「古今和歌集」の序に、鶯や蛙を例にとって、「いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける」と述べた有名な詞章とも響き合い、人と動物との交感を視覚性の面から表現する言葉であったともいえる。しかも、<かざり>と組み合わされる日本語は多種多様で、<つくりもの>など、人間の作りだす造形の分野とも重なっている。つまり、日本において装飾する行為は、美によって自然と人間の活動を結び合わせるという、共生の意味合いを含んでいたところに特徴があったのだ。
「日本において装飾する行為は、美によって自然と人間の活動を結び合わせる」
私はこの言葉を、心の中で幾度も繰り返していた。
2012年05月13日
「俵屋宗達 金銀の<かざり>の系譜」
私たちの住む惑星の多様な環境。その各地には、それぞれの環境を象徴する生き物が棲息する。
例えば、やんばるにおけるヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネ。
これら独特な種にスポットライトがあたり過ぎた場合、やんばるの森の全体像が見えにくくなることがある。
日本美術史の森においても、同様な傾向を経てきたらしい。
歴史に名をのこした”天才”の生涯の解明に熱が入るあまり、彼らを生み出してきた土壌の調査が疎かにされる、といったような。
新刊「俵屋宗達 金銀の<かざり>の系譜」の著者、玉蟲敏子氏は、俵屋宗達を遠望視することにより、彼を育んできた豊な環境、王朝以来の料紙装飾、<かざり>と<つくり>の文化的文脈をひも解いていく。
私はページをめくりつつ、玉蟲敏子氏という優れたガイドとに導かれながら、豊な王朝美術の森の探索を楽しんだ。初めて知る清涼な沢をいくつも渡り、ようやく巨木へと辿り着く。
私はこれまで、宗達という巨木だけを求め、その直下へ車で慌ただしく駆けつけていたのかもしれない。
豊潤な森の探索を経て、ようやく辿り着いた巨木との再会は、いっそう美しく、深いものに感じられた。

例えば、やんばるにおけるヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネ。
これら独特な種にスポットライトがあたり過ぎた場合、やんばるの森の全体像が見えにくくなることがある。
日本美術史の森においても、同様な傾向を経てきたらしい。
歴史に名をのこした”天才”の生涯の解明に熱が入るあまり、彼らを生み出してきた土壌の調査が疎かにされる、といったような。
新刊「俵屋宗達 金銀の<かざり>の系譜」の著者、玉蟲敏子氏は、俵屋宗達を遠望視することにより、彼を育んできた豊な環境、王朝以来の料紙装飾、<かざり>と<つくり>の文化的文脈をひも解いていく。
私はページをめくりつつ、玉蟲敏子氏という優れたガイドとに導かれながら、豊な王朝美術の森の探索を楽しんだ。初めて知る清涼な沢をいくつも渡り、ようやく巨木へと辿り着く。
私はこれまで、宗達という巨木だけを求め、その直下へ車で慌ただしく駆けつけていたのかもしれない。
豊潤な森の探索を経て、ようやく辿り着いた巨木との再会は、いっそう美しく、深いものに感じられた。
2012年05月12日
2012年05月06日
2012年05月04日
2012年04月30日
あだ
昨日、テレビ取材の打ち合わせの中で、何故、安田(あだ)なのか、とのご質問。
自分にとって、あまりに当たり前な場合、その理由を客観視していないことが多い。
女の子を好きになる時だって、人にその理由を説明できるほどのことを持ち合わせてはいない。せいぜい出てくるのは、優しいから、とか、可愛いからとか、取り繕ったような答えばかり。
人はそんな時、わかり易い言葉を一生懸命に探すものである。
ともかく私は、最初に安田を訪れたとき、ここに住うと決めていた。きっと何かに呼ばれたんだよ、と言う人も。でも、一体何に?
人は、行動を起こすために、その理由を求める傾向にあるらしい。
鳥たちは、理由もなく、工程表もなく巣を作り、雛を育て、そして地図もなく渡っていく。
発達した私たちの理性は、そんな素直な直感を、邪魔しているのかもしれない。

自分にとって、あまりに当たり前な場合、その理由を客観視していないことが多い。
女の子を好きになる時だって、人にその理由を説明できるほどのことを持ち合わせてはいない。せいぜい出てくるのは、優しいから、とか、可愛いからとか、取り繕ったような答えばかり。
人はそんな時、わかり易い言葉を一生懸命に探すものである。
ともかく私は、最初に安田を訪れたとき、ここに住うと決めていた。きっと何かに呼ばれたんだよ、と言う人も。でも、一体何に?
人は、行動を起こすために、その理由を求める傾向にあるらしい。
鳥たちは、理由もなく、工程表もなく巣を作り、雛を育て、そして地図もなく渡っていく。
発達した私たちの理性は、そんな素直な直感を、邪魔しているのかもしれない。
2012年04月29日
屏風の額装 2
中国より伝来し、畳と障子といった和の建築の中で一般化していった屏風。
何層にも、袋状に空気の層を作りながら貼り重ねられた和紙の上に描かれた作品は、高湿度の東洋の環境の中でも数世紀にも及ぶ保存が可能となった。何層もの和紙が、室内の湿気を吸い、乾燥した日にそれを放出することによって。
今回、お客様より洋室に調和した額装のリクエスト。
ABECRAFT阿部誠司さんの手により理想的な額が完成。
作品を、アクリルやベニヤで挟み込むことなく、ゆったりとした呼吸が可能。塗装なしのブラックウォールナット材は堅牢かつ、存在を主張することなく、素朴な山原屏風を優しく包み込む。


そして、素敵なお客様の洋間にしっとりと調和。

何層にも、袋状に空気の層を作りながら貼り重ねられた和紙の上に描かれた作品は、高湿度の東洋の環境の中でも数世紀にも及ぶ保存が可能となった。何層もの和紙が、室内の湿気を吸い、乾燥した日にそれを放出することによって。
今回、お客様より洋室に調和した額装のリクエスト。
ABECRAFT阿部誠司さんの手により理想的な額が完成。
作品を、アクリルやベニヤで挟み込むことなく、ゆったりとした呼吸が可能。塗装なしのブラックウォールナット材は堅牢かつ、存在を主張することなく、素朴な山原屏風を優しく包み込む。
そして、素敵なお客様の洋間にしっとりと調和。
2012年04月28日
霊鳥アカショウビン
国指定やんばる鳥獣保護区の管理員でもある私のところには、傷病鳥が運び込まれることがある。
ある夏の日、弱りきったアカショウビンを受け取る。交通事故だろうか、既に虫の息。一時間程で、間もなく死んだ。その時である、自宅のすぐ裏山でアカショウビンの声が響きわたった。「クルルルル。。。。」幾度も、幾度も。その日の前にも後にも、アカショウビンの声を付近で聴くことはなかっただけに、何か霊的なメッセージを感じた。時間が止まったかのような。
死体はスケッチされ、そして土に還された。
その時のスケッチは、後に、先日ご紹介させていただいた屏風「朝焼け」に生きるのである。
2012年04月26日
2012年04月25日
2012年04月24日
2012年04月17日
2012年04月16日
ヤンバルクイナ、子育ての季節
雛連れのヤンバルクイナを見かける季節となった。
夜の林道で、雛をお腹に抱えて蹲る親鳥の姿が車のヘッドライトに照らし出されてドキリとさせられることがある。親鳥は羽毛を膨らませて丸くなり、雛たちを守る。
2012年04月15日
素描、ミゾゴイ
梅雨を前にした夜の林道で、渡り鳥のミゾゴイを見ることがある。
夜行性のサギの一種であり、地球上で日本でのみ繁殖。近年、急激に減少している。
ヤンバルクイナやトキのような華もなく、忘れられ、人知れず姿を消していくタイプの鳥かもしれない。
2012年04月11日
ハブ
沖縄に移ってきた当時、ハブの存在を過剰に心配していた。常に、そこいらじゅうに潜んでいるのではと、いつもドキドキしていた。けれども、ここ安田に住んで6年。生きているハブを見たのは一度きり。
今では、見れたらラッキーの稀少生物に位置づけられている。ヤンバルクイナの何倍も、見ることは難しい。
多色刷り木版画。
2012年04月09日
田中一村展
田中一村展を見る。
日本画、のカテゴリーを改めて思う。
一村の絵は西洋ルネッサンス以降の遠近法、そして明暗による立体表現を基礎として描かれた、概念としては西洋絵画である。それをあえて日本画としているのは、顔料を膠で定着させているためだけの理由からであろう。
明治政府が日本の西洋化のため、過去の日本は文明的に遅れており、西洋の方が進んでいる、とした国策は、美術界にも大きな影響をもたらした。現在に至るまで。
経済の世界では、失われた20年、といった表現があるけれど、美術の世界では、失われた100年、である。
一村はグラフィクアートとして素敵な仕事を残している。一方、日本美術の、造形ではなく思想から見たときにどうなのだろう。私には、わからなかった。
もうひとつ、一村の作品の魅力にある孤立感。そこにあるのは自然のみ。
私もやんばるの奥地にアトリエを構えているけれど、テレビは無いが、インターネットがあり、気が向けば車で那覇へも足を延ばす。が、一村にはそれが無い。限られた空間のなかで完結してしまっていることに、ある種の、無垢な羨ましさを感じた。
情報とは、あればある程、人生が豊になるわけではない。
2012年04月06日
宗達展 1961
半世紀前に開かれた宗達展について、音楽評論家、吉田秀和が感想を述べている。「宗達展を見て」(音楽芸術 昭和36年7月号)をご紹介。
会場内、吉田氏の近くで絵を見ていた青年が、腹を立てつつ連れのガールフレンドに語り出す。
「こういうものは遠近法も陰影もないのだから結局だめなのだ。宗達なんか、一流の画家ではない。彼の雷神にいたっては、解剖学的にも、まるでまちがっている。」と主張。
そこで吉田氏は思う。「いまさら、ルネサンス以来の遠近法や人間解剖学を、もちだしても、はじまらないではないか。ハーバード・リードにいわせれば<芸術は科学的認識に縛られれば縛られるほど、真実から遠ざかる>」
さらに吉田氏は、「私たちは、まず、自分が持って生まれたというより、現に持っている自分の美感を、西洋に照らしてみて訂正したり何かする必要は少しもないのではなかろうか。」という。
この感想から半世紀を経た現代においても、美術系大学の入試では<ルネサンス以来の遠近法>に基づいたデッサンが試されているのは残念なことである。日本画科の学生ですら。
そして、
「私たちは、もういちど、自分の足でたち、自分の眼でみ、自分の耳できくべきだ。宗達とマチスは少しも相排除しあわない。黛敏郎の<涅槃交響曲>は、メシアンの<トゥーランガリラ>交響曲と、りっぱに共存する。私たちに必要なのは、個々の芸術を十九世紀的偏見で考えないことであって、自分の音楽のきき方を、ベルリンやニューヨークの聴衆に恥じる必要は、一向にないだろう。私たちは、本当の自信と謙虚さは、同じものだと知るべきだ。」
励まされる言葉である。
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2012年04月05日
2012年04月04日
「陽」、製作過程 2
作品を見る人の感情をシフトさせる力とは、サイズに影響されるのだろうか。
でっかい作品のほうが装飾的には圧倒される、が、思想的な視点ではどうなのだろう。
私自身の経験では、俵屋宗達による六曲一双の源氏物語屏風よりも、小さな短冊を見た時のほうが精神的変化が大きかった。圧倒的だった。
そんなことを思いつつの、小屏風の制作。



でっかい作品のほうが装飾的には圧倒される、が、思想的な視点ではどうなのだろう。
私自身の経験では、俵屋宗達による六曲一双の源氏物語屏風よりも、小さな短冊を見た時のほうが精神的変化が大きかった。圧倒的だった。
そんなことを思いつつの、小屏風の制作。
